ハゲは笑えて、障害者は笑えないのか?自虐ネタの限度は?
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自虐ネタの許容範囲は?
M-1グランプリ2015で優勝したトレンディエンジェルのハゲネタを受けて作家やコメンテーターとして活躍する乙武洋匡さんが以下の様なツイートをして物議を醸している。
トレンディエンジェルがM-1で優勝。「斎藤さん」の薄毛ネタは観客を爆笑の渦に巻き込むが、それに対して「薄毛に悩む人もいる。不謹慎だ」と憤る声は聞いたことがない。デブやハゲはOKで、障害がNGなのはなぜか。「芸として面白いからOK」なら、話芸の巧みな障害芸人なら素直に笑えるのか。
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2015, 12月 7
色々とツッコミどころが多いが、Twitterの140文字で全てを表現するのは難しいし、問題提起のために、あえてツッコミ(プチ炎上)どころを残してツイートしている所が上手いなーとも思う。
そんな大きな釣り針にあえて喰い付いてみる。
まず前提としてトレンディエンジェルのハゲネタで観客を沸かしたのは事実だが、ハゲに悩む人が「不謹慎だ!」と思った人もいると言うのも事実なのだ。
トレンディエンジェルがM-1で優勝した事で、斎藤さんのネタを「おいしい」と思い自分のネタとして取り入れるハゲがいる一方で、明日もしかしたら斎藤さんと呼ばれる(ネタふりされる)事を恐れているハゲもいるのだ。
ではなぜ、不謹慎だ!と思うハゲもいるのに、ハゲの自虐ネタは市民権を得ているのか?
ハゲが笑える理由
お笑いには型(かた)や形(かたち)がある。緩急・間・振り幅など色々あるが、その中でも重要なのが「哀愁」だと思う。
「哀愁と笑い」に関して松本人志は放送作家の高須とやっていたラジオの放送室で以下の様に語っている。(お笑いの話をする際に松本人志を引き合いに出すと、ダウンタウン信者とか言われてしまうかも知れないが、どっぷりダウンタウンにハマった世代なのでご勘弁を)
「松本人志の放送室」(第4回)2001年10月25日放送分より
高須:コントの設定やアイデアはどっから来てるの?
松本:基本はまったくの「ゼロ」だけど、人間のカッコ悪さが好き。人間のカッコ悪いところって面白いし、ちょっと悲しいけど、そこには「愛」があったりする。
高須:哀愁があるんやな。人の切なさってどっかで出てくるもんな。ごっつの河童コントやおかんやマー君とかもそうやもんな。
かなり意訳しているが上記の様にラジオで語っている。また、NHKのプロフェッショナルでも以下の発言をしている。
どっかに悲しさがないと、面白くない。笑いの裏に、悲しみがある。
そう、「笑い」と「哀愁」は表裏一体なのだ。
しかし逆にこの「哀愁」が大きすぎたり、その人の心理状態が「想像」できない場合は笑いにつながらない。ここがハゲが笑えて、障害者が笑えない理由だと思う。
哀愁の濃度
つまりハゲは哀愁の濃度が薄く、皆がハゲの心理状態を一定想像出来るのだ。
仮にハゲが死に至る病であれば哀愁の濃度が著しく濃くなり笑えなくなる。仮にハゲが周りにいなければハゲの心理状態を想像できないので笑えない。
そう。ハゲは哀愁があり面白いのだ。
しかし、障害に関してはハゲの様にはいかない。
哀愁の濃度が濃く、障害者の心理状態を想像出来る人がいないのだ。いや、想像が出来ても「可哀想」「辛い」「苦しい」と言う想像が先に出てしまって笑いに繋がらない。
乙武洋匡氏はこの障害者に対する「哀愁」や「想像」を変えたいと言う思いから、あの様なツイートをしているのだと思う。
私個人も世間が心のバリアフリーが進み、障害をハゲと同じように身近にいる存在として、哀愁の濃度を薄くして、障害者の気持ちを想像出来る様になればいいなと願う1人だ。
でも・・・仮にそうなったとして、障害者の方で話芸が神がかり的な人が、自身の障害を自虐したネタをしたら笑えるのだろうか・・・?
そんな事を考え続けていたらハゲてしまいそうなので止めておこう。
わーわー言うとりますが、あーっと言う間にお時間です。さよなら。